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冬将軍の最後の悪あがきか、
いいお日和が続き、桜の開花も間近いと言われておりながら、
唐突に寒波が戻ってきた春のお彼岸の真ん中辺りにて。
他の構成員らが担当した案件の余波、
拘束されかかってた異能力者の逐電騒ぎに思いがけなくも巻き込まれ、
どうやら犬のそれらしき、赤毛をまとった獣耳が一対、
帽子の下にぴょこりと生えてしまったポートマフィアのイケメン上級幹部様。
芥川を伴っての窮余の策、
最強無敵なはずの太宰の異能無効化 “人間失格”を放ってもらっても効果を為さず、
異能の主に直接 無効化を仕掛けるしか解きようがないらしいと判明。
もしかして時間が経てば自然解除される代物なのかもしれないが、
彼らは彼らで新たな任務へ取り掛からねばならない身であるらしく、
それまでに何とか解かねばという時間制限付きであったがため、
問題の異能者を捕えてくるぞ大作戦を、変則的な顔ぶれで遂行することとなったのだが。
「解析班からはまだ何とも云って来ねぇ。」
そんな災難に見舞われた素敵帽子の幹部様、
携帯端末を手元に見下ろし、
憂鬱そうな溜息とも憤懣の鼻息とも取れそうな吐息をこぼしておいで。
とんだ騒動が起こった本拠の搬入口周辺の様子は
常時稼働させている監視カメラで収録されていたらしいのだが、
監視を兼ねて詰めていた構成員や一緒に移送されてきた面子らが
誰彼構わずの片っ端から異能を浴びせられたという突発的な騒ぎが起きたのは、
外へ接していた正に戸口という場所ではなく
やや奥へと入り込んだ通廊だったのが仇になり、
異能者自身が犬の姿へ転変した瞬間は収録されてはないとのこと。
それでも何とか、人間だった折の風貌はチェックしており、
そこから犬に転変したらしき男の逃げた方向や犬種の特徴を絞ろうと、
電脳専任担当のサイバー班にあらゆる画像やデータを解析させているというが、
そちらからの連絡は待機している中也直属の部下らへも一向に届かぬそうで。
液晶画面に浮かぶ報告の文面を流し読み、
切れ長の目許を眇めて忌々しいと舌打ちをする兄様なのへ、
「とりあえず、着替えてもらえますか? 中也さん。」
「あ?」
それこそ緊急事態とあって、
配下のみならず馴染みの密通屋までもを総動員して聞き込みし倒した末に得た情報、
一仕事終えた太宰と敦が探偵社へと戻るべく通った街路沿いまで、
取り急ぎ出張るのに乗り付けたという中也の愛車に乗り込むと、
まずはとそちらの現況を確かめたらしい幹部様へと助手席から向かい合った敦くんが
それは大真面目にそんなことを言い出して。
「着替える、のか?」
「はい。」
相手は追手が掛かっていることを警戒しているはずです。
そんな相手に、ポートマフィアの人間だと判りやすいコトこの上ないこの格好で近づくなんて、
「鉦を叩いて“出ておいで”と呼びかけながら探すようなものです。」
「…確かにそうだが。」
一刻を争う事態なだけに、そんな悠長なことはまるきり念頭になかったのも当然で。
異能解除といやぁと、今日本日の太宰の行動に関するデータを掻き集め、
取るものもとりあえず駆けつけることしか頭になかった彼であり。
拠点に居たそのまま飛び出してきたがため、
いつもの正装、黒づくめのスーツに腕は通さぬ外套と、今日は冷えるのでと首元にストールを巻いた冬仕様。
夜の闇へは溶け込みやすいそれなれど、昼間の街中では確かに目立ついでたちかも。
そんな理屈は判らぬではないが、だがなあと幹部様が渋り気味な顔になったのは、
なりふり構わずの一気呵成、大急ぎで片づけたい一心からで、
「この寒い中じゃあ人もそうは出てねぇし。」
こちらが目を引くというが、
出歩く人自体が少ない今日みたいな日は どんな格好で居ようと目立つには違いなかろと。
そんなことより早く動き出さねぇかと持ってゆきたい焦燥を押し隠し、言葉を重ねたものの、
「何言ってますか、今日は一般の方々には何と祭日なんですよ?」
「あ…。」
真摯な表情のまま敦がそうと畳みかけ、中也も はっと虚を突かれたような顔になる。
自分にもそしてこの少年にも今日は単に週の真ん中の水曜日だが、世間様では何と祭日、春分の日。
「…そっか、だから妙に途中途中で道が混んでたんか。」
つか、祭日に取引とは働き者な、じゃあなくて、
平日ではない以上、時刻表だの人の流れだのが大きくずれ込むのに、
突発事態だって起きやすいのに、そちらも概念的にうっかりしていた輩だったんだねぇと。
社畜な自分は棚に上げ、感慨深くなってる場合では勿論なくて。
「とりあえず、そのかっちりした格好を取り替えないと。」
「おう、判った。」
何とか意が通じたらしく、中也も急いでハンドルを握ると車を出すことにする。
行先は確としているようで、迷いなく街路を西へ東へと進んでいた兄様だったが、
そうして向かったのは彼の持ち家、セーフハウスのいづれかじゃあなく、
戻り寒波に凍えた街並みが流れゆく車窓を見やっておれば、
「え? 此処って?」
まだ敦が教わっていなかったセーフハウスの近辺という雰囲気ではない街路の途中、
それで駐車スペースなのか、建物の脇の小道に車を一発侵入で停車させると、
ほら降りた降りたと敦へも同行するよう促す中也であり。
そのままその建物の正面へ回れば、
判りやすいショーウィンドウなぞない落ち着いた雰囲気も、そのまま贔屓筋の格を忍ばせる、
なかなかに凝った意匠の佇まいをしたどうやら紳士向けのブティックであるらしく。
着替えるという行動を選んだ身で、自宅へ戻るのではなく店を選んだ選択は敦には少々意外。
「持ち合わせの中から悠長に迷ってる場合じゃねぇからな。」
「そ、そうですけど…。」
店ごと“クロゼット”という発想がするりと沸いた中也だったようで。
そうかそういう選択肢が出るのか、さすが、マフィアの稼ぎ頭はお財布感覚が違うと
暁色の双眸を半ば呆然と見開いている虎の少年を腕を取り、店の中へ颯爽と脚を運ぶ。
シックな店内には中途半端な時間帯だからか他には客の姿もないようで、
背条の伸びた壮年の紳士が折り目正しき笑みもて慇懃な会釈を向けてくる。
「これは中原様。」
「久し振りだな。
いきなりで悪りぃが急ぎの着替えが必要なんだ。
動きやすくて、出来れば目立たねぇのを外套込みで大至急。」
「は、早速。」
店側の人までもが社交辞令も省略したのは、それだけ中也の気性を心得ているからだろう。
無論、気難しい短気な男というのではなく、
鷹揚な洒落者じゃああるが、仕事熱心で忠義の人でもあり、
仕事モードにスィッチが入っているのなら、
極力 無駄を嫌って効率的かつ実直にてきぱきと動く御仁だという、人柄への的確な“理解”。
言葉少なに出された条件へ、
支配人らしき壮年が ははと軽く会釈をしたまま足早に奥へ引っ込み、
助手らしき青年へ帳簿を渡してクロゼットへ向かわせる。
彼自身も店内のあちこちの収納を開けたてし、
それは手際よくハンガーに吊るされたジャケットやスラックスを取り出し、
「こちらなど如何でしょうか。」
接客用のローテーブルへ並べられたのは数セットのコーデュネイト。
チェスターコートやトレンチなどのテーラードタイプから、
ピーコートやモッズコートなど、
若者がタウン着としてまといそうな砕けたカジュアルタイプも品揃えの中にあったようで。
そんな中から、
「…うん。これとこれ、それからこれだな。」
丈の長いチェスターコートを選び、襟巻代わりのスヌードを、これは敦へもチョイス。
ボトムにはティパードパンツを合わせて、トップスはネルシャツにロングニットを合わせ、
一見すると大学生のようないでたちにまとめてしまう。
体へ当ててみずともサイズは丁度であるらしく、
そういうところも考慮してこの店をと選んで足を運んだ中也だったようで。
「走り回るかもしれねぇんだ、これで上等だろうよ。」
何なら足元はコンバースでもいいくらいだが、そこまでやると帽子が浮くと、
そこは譲れないらしい彼で。
さっそく着替えてくるよと敦の傍から店の奥へ、足早に去りかかった中也だったが、
「…中也さん?」
ふと。というか、時折視野の端に引っ掛かっては気になっていたものがあり。
それが今、大きにびくくと…中也の背中の下あたり、ジャケットの中で撥ねたのへ、
ちょっぴり眉を寄せたまま、敦が腕を延べ、そのままぱふりと両手を伏せる。
「…もしかして、このお元気にはためいているのは。」
大きな真鯉でもくすねて来たの、ややこしいところへ隠してでもいるかのような
それは不自然な痙攣の気配が、時折彼の頼もしい背中にて振れており。
ジャケットと外套越しでも見て取れるそれへ、だが、
さすが客商売のプロフェッショナルたちは
そそくさとそっぽを向くやら店の奥へ片づけに向かうやら、空気になってしまった中で、
少々しょっぱそうな顔になった上級幹部殿、
「うう…。実はな、」
背中側の外套の裾を後ろ手にした手でそろりとたくし上げて、
その下のジャケットの裾を外へと引けば。
外そと? こっちが外?と頑是ない幼子が明るい方目指して顔を出したがっているかのような
そんな張り切りようでぱたたっとしなったそのまま、ひょこりと“先っぽ”が顔を出す。
「…自在にならないんでしょう。」
「ああ。」
頭に鎮座する獣耳と同じ色合いの、それは毛並みのいい尻尾までが生えており。
しかも意志で制御できない動きようをしているそうで。
“芥川を気遣ったんだろうなぁ…。”
耳だけじゃあなく こんな状況だと口にすれば、
庇われた芥川がますますと落ち込みはせぬかと思って、
それでずっと黙っていたらしかったのは明白だったが、
「窮屈だったでしょうに、」
もそもそ出て来てぶんぶんと振れるふさふさな尻尾、
手をかざして よしよしと撫でてやる敦の言は、妙に落ち着いたそれであり。
中也の難儀へまさかに笑いはしなかろが、日頃のまだどこか覚束ぬところの多い彼には、
こうまでとはと呆れるとか驚くとかいう気配もないのは出来過ぎな気がして。
「…何で判る。」
後ろに立つ愛し子へ、声でだけ問いかければ、
ううと何故だか彼もまた項垂れたらしく。
「今は収まった方ですが、
まだ異能が思うように制御できなかったころ、耳と尻尾が勝手に出て来て困った時期が。」
ただだらんと下がっているだけならともかく、
律したい繕いたいとしていても構うものかと感情を乗っけて勝手に動く存在で。
ご機嫌とか腹立ちとか、物申したいとばかりに上向きにぶんぶんと振れたりした日にゃあ、
狭いズボンの中に大人しく押し込まれててくれるはずがないと。
実は心当たりが大ありだったからこその察しの良さだったらしくって。
「付け根とか痛かったはずですよ?」
「…まぁな。」
躾がなってない我が子なの、恥ずかしながらと披露しているような気がするものか、
少々気落ちしたよな声で口ごもった兄様へ、
「ウェスト部分から出すには位置が下すぎますし。」
自分 実はボーダーなんだなんて、
腰パンと言って誤魔化しが利く範囲じゃあないというのもお察しらしい虎の少年。
それは冷静に下した処断が、
「買ったばかりので恐縮ですがズボンに穴を開けましょうね。」
「おう、それは構わねぇ。」
こんなことへ周到に通じている恋人さんというの、
果たして素直に渡りに船とか喜んでていいものなんでしょうかねぇ?(う〜ん)
to be continued.(18.03.21.〜)
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*獣耳のみならず尻尾まであった中也さんですが、
持つべきものは獣化転変の異能を持つ恋人くんだったってでしょうか?(笑)
早いとこ逃げ出した相手を捕まえなさいっての。

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